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第六話 罪の影に消えた真実②

last update Last Updated: 2025-05-31 19:01:12

【二〇一五年 杏】

 私はすぐに新のことが心配になり、急いで帰ろうとした。

 すると、途中で誰かに呼び止められた。

「杏!」

 それは、愛しい人の声――。

 振り返ると、顔を曇らせた修司が静かにこちらを見つめていた。

 あの噂のことは、きっともう耳に入っているのだろう。

 ゆっくりと近づいてくる修司の目を、私は正面から見ることができなかった。

「杏……俺」

「私、急ぐから」

 怖かった。

 彼が、私のことをどう思っているのか、その答えを知るのが。

 それに……今は、立ち止まっていられない。

 新のもとへ、行かなくちゃ。

 想いを振り切るように、私は彼に背を向け走り去った。

 新の通う中学に行こうかとも思ったが、家へと向かうことにした。

 きっと、もう帰っているはずだと思った。

 新だって、あんな針のむしろにいられるわけがない。

 玄関を開けて部屋に入ると、すぐに新の姿が目に入った。

 隅のほうで、膝を抱えてうずくまっている。

 その姿を見た瞬間、胸が締めつけられる。

 私は駆け寄り、衝動的に新を抱きしめた。

「おねえ、ちゃん……」

 か細い声がこぼれた。

 きっと新も、学校でひどい目に遭わされたのだろう。

「新……大丈夫だよ。姉ちゃんがついてるから」

「うん……」

 私は新の頭を撫でながら、力強く微笑んだ。

 新が少しでも落ち着くように、そのままずっと抱きしめ続けた。

 やがて、新が涙に濡れた瞳で私を見上げてくる。

 その瞳をしっかりと受け止めるように、私は微笑み返した。

「もう学校、行かなくていいよ……。

 父さんが無実だって証明されるまで、新は好きに過ごして。

 でも、なるべく人に会わないで。それだけは約束して」

 私が言うと、新はしばらく黙ってから、小さく頷いた。

「姉ちゃん……父さんは、何も悪いことしてないよね?

 人を殺してなんかいないよね?」

 震える声で問いかける新の目を、私はまっすぐ見つめた。

 胸が張り裂けそうなほど痛かった。

 それでも私は、必死に微笑みながら答える。

「当たり前じゃん。あの父さんだよ? そんなこと、するわけない」

「……うん」

「姉ちゃんが、絶対に真犯人を見つけてみせるから。

 だから、新は安心して」

 私はできるだけ明るく言って、新の背中をさすった。

「そうだ、明日はまた父さんと面会の日だし……今度こそ、父さんの口を割らせてみせるよ」

 そう言うと、新はわずかに微笑んでくれた。

 その後も、私は毎日のように事件を追い続けた。

 けれど、父さんの無実を証明することはできなかった。

 父はついに起訴され、裁判が始まった。

 そして、法廷の場でも、父の言葉は変わることなく――

「私がやりました」

 その一点張りだった。

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憮然野郎
修司を避けてしまう杏の葛藤と、父を信じながらも周りの冷たい環境の変化に戸惑う幼い新の気持ちを思うと、胸がぎゅっと締めつけられます...
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